第1章「雨の戦場で失ったもの」の続きです。
第2章「銃を置き、言葉を選ぶ」
退役届に署名したとき、胸の奥に重たい石が落ちたような感覚があった。
あの戦場から戻って二か月。
雨の中で息を引き取った真希の顔と、泥に沈んだ米兵の目が、夜ごと夢に出てくる。
目が覚めても、耳の奥ではまだ銃声が響いている気がした。
自衛隊の仲間たちは、俺が辞めると聞いて驚いたようだった。
「お前、まだやれるだろう」
そう言ってくれる声もあった。
でも、俺は首を横に振るしかなかった。
もう銃を握りたくなかった。
俺が引き金を引けば、また誰かの命が消える。
それが正義のためだと言われても、もう信じられなかった。
横須賀の実家に戻ると、机の上には高校時代の卒業アルバムが置きっぱなしになっていた。
その横に、古いゲーム機とアニメのDVDが積まれている。
笑って見ていた頃には、戦争がこんなにも近くて、こんなにも重いものだとは思っていなかった。
「もう二度と、あんなことは起こさない」
口にしたその言葉は、自分への誓いでもあった。
戦場で誰かを救うことはできなかった。
だから、次は別の方法で守る。
銃じゃなく、言葉で。
政治家になるなんて、考えたこともなかった。
だけど、ある日テレビで国会中継を見ていたとき、胸の奥で何かが動いた。
戦争を避けるための議論も、和平のための交渉も、ここで行われている。
この場に立たなければ、本当の意味で何も変えられない。
そう思った瞬間、迷いは消えていた。
最初は、周囲から笑われた。
「元自衛官のオタクが政治家? 冗談だろ」
そんな声がネットにも、街の噂にも溢れた。
でも、俺は構わなかった。
真希の死を無駄にしないために、笑われることなんてどうでもよかった。
地元で演説を始めた。
小さな駅前で、マイクを握り、ただ一つの言葉を繰り返す。
「戦争は、二度としない」
それだけは、何があっても譲れない。
数年後、俺は国会議員になっていた。
そして2025年、内閣総理大臣に就任する。
あの日、雨の戦場で心に誓ったことを実現するために、
俺は銃ではなく言葉を武器に、日中和平交渉の席へ向かう。
次の第3章「土下座の交渉席」はこちら
今回の「日本と中国の二面性」の解説記事はこちら
書(描)いた人:雲子(kumoco, Yun Zi)
諸子百家に憧れる哲学者・思想家・芸術家。幼少期に虐待やいじめに遭って育つ。2014年から2016年まで、クラウドファンディングで60万円集め、イラスト・データ・文章を使って様々な社会問題の二面性を伝えるアート作品を制作し、Webメディアや展示会で公開。社会問題は1つの立場でしか語られないことが多いため、なぜ昔から解決できないのか分かりづらくなっており、その分かりづらさを、社会問題の当事者の2つの立場や視点から見せることで、社会問題への理解を深まりやすくしている。